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2017年12月1日金曜日

人間関係が面倒くさくなったときに読む記事

人間関係が面倒くさくなるとき



  • 自分の時間が相手の都合で勝手に決められるとき
  • 選択権は残されていても、事実上、それを制限するような空気を作られたとき
  • 勧められたことを拒むことで人間性を疑われるリスクをかもちだされた時

非常に面倒くさい

自殺したい人を呼び寄せて殺害した事件が神奈川県座間市でありましたが、その残忍さのみに焦点が当たり、なぜ、そんなところに行ってしまったのか?被害者が持っていた心の闇にはなかなか焦点が当たらなかったように思う。(プライバシーにも関わるからという理由もあった。)
単純に、自業自得のような雰囲気もネット上には流れたことだろう。

人間関係が面倒くさくなることは誰にでもある。

なぜなら、人間なんて基本、利己主義で、良くも悪くも自主的
リベラルアーツの教育や良質な道徳知識を得てようやく社会性を得ていくのだろうけど、それでも、基礎的な部分はなかなか消え去ることなんかできないはず。
人間関係は、こちらが本性を出せば出すほどに相手も素性を出していく。
それは深まると同時にどうしても面倒くさくなることもある。

遠慮がなくなっていくのだから当然、今まで聞き入れてくれていた人が刃向かってきたりする。

学校の先生と生徒の関係もしかり、会社の上司と部下の関係もしかり。
(立場や地位が)上から下だけではなく、最近では、下から上への攻撃もよくある話。
コミュニケーションをテーマにした本がベストセラーになるなど、もはや知識武装やテクニックも必須になっている現代、人間関係なんか面倒くさいのが前提だということを知った上で生きていた方がむしろ楽なのかもしれない。

人間関係なんかそもそも面倒くさいものなんだ。

端から見ていて、平和そうに見える人間関係は、絶対的権力者とそれに付き従う人達という構図。とりわけお笑い芸人の世界は平和に見える。
でも、これはこれで見えないストレスに苛まれている人が見えなくなっているだけのような気がしてならない。

人から攻撃を受けたとき

攻撃をうけたことがある人(ない人がいるわけもない)なら、「誰にも会いたくない」となってしまう心情がきっと理解できるはず。
発端が自分であるにせよ、相手が理不尽であるにせよ、攻撃それ自体は「悪」以外の何物でもない。
これを理解している人は非常に少ない。
優しい人であればあるほど、攻撃を受けた後に、二次元の世界や、バーチャルの世界に傾倒し没頭してしまう人の気持ちもわからなくもない。

これからの生き方

付き合う人は選べないのか?
事業を興せば付き合う人は選べることがわかる。(だからといって起業は簡単ではない。リスクもある。でも・・・↓)
嫌な客は切ればいいという特権が得られる。
モンスターカスタマーは事業を営んでいると一定の割合で確実に現れる。多くの場合、値切る客に多いという統計的データもつかめるようになってくる。
(値切られる以前にこちら側がふっかけていたら発端は自分だから、素性が見えなくなるので、起業をしたらふっかけてはいけない。)
「値切る」それ以外の特徴も見えてくると思います。

(含有リスクを感じる)嗅覚が発展してくれば、先に受け入れないこと(バリア)もできる。

お付き合いしていく中で、その「におい」を感じたときは彼(彼女)がモンスターになる前に、徐々に終わらせる道順を作り始めるのも大切だ。
徐々に終わらせるというのは、突然断ち切ることと比べて難易度は非常に低い。
ストーリーを作れば良いだけだから。
「今年、○月から※※※の理由で方針を切り替えるため」という事業計画を打ち明けるだけだ。

また、自分自身がモンスターにならないようにすることも大切。

心に憲法9条を掲げれば良いのかもしれない。
戦争の放棄。こちら側から人を馬鹿にしない、罵倒しない、でも、意見を言うのとは違う。意見を言うときは慎重に相手の意見も尊重しつつ発信する。
ただし、「悪」に対しては言わせてもらう(反撃する)時もあるかもしれない。
できる限り目に見える「反撃」以外の手段で防衛すること。
そのくらいの意識。

時に冗談が相手を怒らせることがある。

これに関しては、真摯に謝ること。そんなつもりはなかったというのはこちらの事情でしかない。
それでもこじれたときは、身を引くことでストレスから身を守ること。
冗談で怒らせたとしても、相手が怒りをストレートにぶつけてきたときは既に相手にも非が生じていると言えなくもない。

「誰とも会いたくない、何もしたくない」となったとき


誰とも会いたくない、何もしたくないときは、誰とも会わないこと。
ただし、ここで「何もしない」はオススメしません。
気を紛らわす何かをすること。記憶は重ねていけば傷も薄くなる。
何事も確実に忘却していくのが脳の機能。「忘れること」は人間をストレスから解放する防衛本能ともいわれています。
これを積極的に活用するためには、「何もしない」は逆効果。
スマートフォンを機種変更するでも、芝居やコンサートに行くでもいい。
とにかく忘却に務めることが大事。
決して、自分を傷つけて終わりになんかしてはいけない。

2017年11月21日火曜日

ダメダメな現場でも全力を出し切る方法

MCの僕は人として間違っていた


明らかに企画から失敗している・・・そういう企画に参加したことがある。
集客も少ない、メディアも取り上げない、そんなイベントの司会をどうにかやってほしいと頼まれて、やっていたときのこと。
ローカル放送の電波にものるけど、たしか3~4年くらい放送したのだろうか。
それでもレスポンスが全くなく、本当に誰か見ているのだろうか?と思うようになった。
誰も見ていないのではないか?
公開放送で集客も少なく、プロデューサーが、知り合いをむりくり連れてくるような事態。
僕のモチベーションも極限まで下がっていき、身を引かせてもらいたいとも言っていました。
このイベントの司会をやっていたら僕自身の評価が下がる・・・と危機感を感じていました。
そんな状況だから、とにかく「その放送時間1時間をむりくり終わらせるのが仕事」という認識になっていき、案の定、番組は終了。正直、ホッとした。

それから10年。この経験は後悔へと変わる

どうしてもっと一生懸命やらなかったんだろう?
どうして一緒に改善しようという思いにならなかったんだろう?
どうして「どうやったらもっと人が集まるのか」を一緒に考えなかったのだろう?
今になって後悔がにじんでくる。
1人も見ていない?そんなことはない。
プロデューサーがなんとか頼み込んで、承諾をしてきてくれた人がいた。
きっといやいや来てくれた人もいるだろう。
無理矢理来させてくれているのだからせめて、良い時間を提供しなければ行けなかったのは僕にも使命の一端はあっただったはずだ。
仮に誰もいなくても、カメラを回してくれているカメラマン。
編集スタッフ。たまたまチャンネルを回して見てくれた視聴者も決して多くはなくてもいたかもしれない。

バカだったなって思うんです。

企画力のないイベントに出て自分の評価を下げたのではない。
自分のやる気のなさが自分の評価を下げていた。

それ以後、やると決めたものはやる。

ダメだと思ったらだらだらやらずに手を引く。
これは上手くいかないと思ったら最初からやらない。
でも、やるのであれば、改善をする。考える。提案をする。
聞く耳を持ってくれなければ身を引く。
聞いてくれる人であれば、こちらも聞く。

MCの仕事をしていた頃のこの経験で、深く反省し、考え直してから、企画コンサルの仕事が増え始めた。
物事を馬鹿にしない。人を馬鹿にしない。
成長を考える。改善を考える。一緒に行くと決めたときは同じレベルで共有する。

この仕事の一番大事なポイントは共有。

自分が共有しようと思わなければできないし、相手側からも共有して欲しいと思ってもらわなければできない。
その人やその企画の知名度は関係ない。そう思うようにした。
クライエントさんのコミュニティラジオやポッドキャストの番組であっても、一生懸命やってリスナーに喜んでもらうところまで、共有するのが僕の仕事。
あの頃、それができていれば、多分、自分自身が表舞台でしゃべり続けていたんだろうなということを思う。
今は表舞台に立つ人をしっかり支えていきたい。
自分の過去を振り返って、けっして間違って欲しくはないから。

2017年11月7日火曜日

神・時間術の読書レビュー 確かに人生が変わった

寝る前の1時間と起きた後の1時間を変えて人生が変わった

先日、読んだ脳のパフォーマンスを最大まで引き出す 神・時間術
ご覧の通り付箋だらけでございます。
当然のようなことでも、言われて改めて気付き直すという点では、とても影響を受けた一冊。
心配事や未決のことがあると、それが気になって脳の作業スペースを奪ってしまう。
それはその通りですよね。
でも、そういうときは、この本に書かれているとおり、付箋に書いて貼り付けて一度、忘れても大丈夫なようにして、今目の前にあることに集中するということにした。
これはかなり自分の作業効率をアップさせました。

寝る前のテレビをやめたら目覚めたときにわかる、睡眠の深さが違うことに。

なかなか寝付けない性分なので、いつも、寝る前はテレビをつけて眠くなる自分を待つという習慣があったのですが、寝る直前は記憶のゴールデンタイムということで、この時間を読書の時間にしました。
とはいえ、寝る直前まで学ぶのもちょっとストレスになりそうだったので、小説を読むことにしました。
普段、なかなか隙間時間がなく小説が進まなかったのですが、この時間を小説に当てるストーリーが自然とスっと入ってきてのめり込んでしまう。その反面、ほどよく眠くなってくるという不思議な心地よさ。
寝落ちする前に、部屋を真っ暗にして静寂の中で眠りにつくと、不思議と深く眠ることができています。

朝は身支度の前に1時間早く起きて勉強を始めた。

眠りが深い分、睡眠が充分にとれて、寝起きが良くなりました。
起きてすぐに始めるのは、勉強です。最近は、経済学と、財務会計を学んでいます。
経営者なので、その辺を熟知していないとセミナー講師をしているときに、引き合いに出せず恥ずかしい思いをするのでみっちり学んでいます。

寝起き直後の1時間は記憶のゴールデンタイム。

やればわかる、脳に素直に入ってくるわかりづらかった経済知識。

努力は裏切らないという言葉はウソ

ふと、この言葉が頭をよぎった。
努力は裏切らない。小、中、高とどちらかというと運動は得意な方ではなく、成績は「中の下」か、それ以下だったかもしれません。
それでも、運動部に入ったり、自主トレーニングはしていました。
得意ではないので、悔しい思いをすることが多く、家の前の公園で、1人何の根拠もないようなトレーニングを続けていましたが、「中の下」が「中の中」にもなりはしなかった。

今になって、こういう書籍を読みながら気付くこと

脳科学やスポーツ科学を取り入れて、効率よく、根拠のある、成果が確実に得られるような生活習慣や、栄養学、トレーニングをして始めて、努力は報われると言うことに気付きました。
気付いたときにはもう大人です。でも、今からでも遅くない。
そういう意味で本を読むことそれ自体がどれだけ「神・時間術」かということがよくわかります。
このことは、この本の著者、樺沢 紫苑氏が、ベストセラーになった別の書籍「読んだら忘れない読書術」でも取り上げています。
時間が戻せるのであれば、あの頃の自分に、「まず、本を読め!」と言いたい。
「その科学の根拠もない努力、無駄だよ」って。
ただ、、無駄な努力を身をもって体験した自分がいるから今があるという意味では、無駄ではなかったのかも。

2017年10月24日火曜日

命をかけて投票権を渇望する香港の若者と投票権を軽く放棄する日本の若者

2017年10月の衆議院議員選挙投票率は、戦後2番目の低さ


またもや投票率の低さが浮き彫りになってしまった日本。
2017年10月の衆議院議員選挙は53.68%と前回、平成26年に次ぐ戦後2番目に最低の水準だったそうな。
それをもって、最近の若いやつはと言えないのは、僕自身もそんな元政治無関心の若者代表だったからだ。
その日暮らしの人間にとっては、どこの政党が与党になろうが、誰が総理大臣になろうが、明日は今日とは何も変わらないはず。
そう思っていただけに選挙には行かなかった。
今思えば、実際、日々の生活に影響を受けていたのに、感じることができなかった。
未熟だったということだと思う。

選挙に行かなかったのは未熟だった。

だから、そういう選挙に行かない人を非難することはできないにしても、今になって思うのは、とんでもなく勿体ないことをしているということ。
世代別の投票率を見れば、明らかに若年層は低く、高齢者層は高くなる。
年代別投票率の推移
若者向けの政策や、税金の還元ともいえる補助金や政府介入を増やしたところで、若者から票はもらえないとわかれば、政策がお年寄り向きになるのも当然の流れ。
とりわけ子育て世代はその貧乏くじを引かされて、タダでさえ出費が厳しい中、まったくもってサポートがされていない。

3歳以上離さないと幼稚園の月額10万円で家計ショート

幼稚園児が2人いれば毎月10万円前後の出費になるのだから、子供は3歳違いで産んだ方が良いなんてことになる。それはそれで、入学卒業がかぶるので、はたまた4歳違いか?
そんなことを考えていると、高齢出産も増えてきたり、僕たち子育て世代のライフプランは振り回されてしまっている。
月10万円の教育費を払える20代若夫婦がどれだけいるのだろう?
結婚が30代でなんとかやっとというのも至極当然な流れなのは、そこのサポートを怠っている政府の怠慢としか言いようがない。
これはどの政党?という以前に、若い人が行けば若い人向けの政策が立案されるのが至極当然な流れなので白紙票でも良い。行けば、住所、名前を確認されて、行ったことが記録されるから、とにかく行くことが大事ということだ。

働け!というインテリセレブたち

つべこべ言わず働けとうインテリ、セレブ、起業家もいるが、よっぽど世間が見渡せていないらしい。
とりわけ、医者や、カウンセラー、時に大学や学校関係者の人であれば、全員が全員成功できる逸材でないことくらい一目瞭然だと思う。
卒業間近の就職説明会の講師なんかにいくと失礼な話だがよくわかる。
不器用という人間がどれだけいるか?それでも、生きていく。
付け加えれば、遅咲きなだけという子もいる。一緒くたに『やれ』といわれてもできない子がいることを知らない人の言い分だ。
でも、どんな人でも一票を入れることくらいはできるはずだ。
車椅子でも、今時、行けないところに投票所は作らない。
若い人が選挙に行くことで、若い人の人気を獲得するために若い人向けの政策が立案される。これも当然の流れ。子育て世代の当事者が選挙に行かないという例もあるけど、これに関しては全くもって・・・なんとも言いがたし。
ただただ唖然とする。

香港では投票権の獲得のために戦う10代がいる。

未来世紀ジパングで取り上げられる香港の民主化運動では、二十歳に満たない若者達が、中国本土からの政治圧力、中国共産党からの独裁支配から自由になろう、自分達で自分達の香港を守ろうと民主化運動をしている。
是非、見て欲しい。
【民主の女神特別編】未来世紀ジパング 2017/10/22放送分
警察官に羽交い締めにされながら、時に逮捕拘束されても民主化を目指す。
選挙で勝ち得た民主主義を進める議員が議員資格を剥奪されるような政治権力にも負けじと戦っている。
命をかけて、「投票権」を獲得しようとしている香港の若者の姿を見ていると、「どうせ変わらない」と選挙に行かない無関心な日本人を見て、過去の自分のふがいなさを思い出すと同時に、なんともやるせない気持ちになるのです。

2017年10月23日月曜日

「やらない」「続かない」人のやらせ方

コンサルをしていて一番成果が出ない方のタイプ

それは、「続かない人」です。
もしくは、「やらない人」。

致命的のように思える反面、意識だけは前を向いているので、こちらもどう対応して良いかわからなくなっていました。
この場合、仮説を立てて検証してみると答えが見えてきました。

クライエントさんが、こうありたい!と向いている方向がずれているのでは?

好きこそものの上手なれとは申しますが、好きであれば、やらないわけはないし、続かないわけもない。

「こうありたい」イコールノット「好き」

という仮説から検証してみると新たな可能性が見えてきました。

何をしているときが幸せですか?

この問いを掘り下げる。

但し、答えの中にビジネスに繋がりにくい答えが出てくることも多い。
たしかに、どんなことでもブログで記事にして広告収入を得ることはできる、映像にして配信することもできるけど、それはすでに使い古された手段。
ほとんどの場合、収入には繋がりません。

どうしたって、仕事、ビジネスと直結したものに、具体的に持って行かないと、現実的に収入は上がらない。
ビジネス書の良いところだけを鵜呑みにして、大丈夫♪自分にもできそうだ!とモチベーションを上げるのも良いけど、上がったモチベーションは具体的に行動に移さないと、進みません。
ビジネス書はモチベーションを上げてはくれるが、所詮、プル型の情報でしかなく、プッシュ型の戦略は、たとえば、コンサルタントやコーチを活用してでも、進めないと何も始まらない。

そこで、僕がこういったタイプのクライエントさんに対してとる戦略は以下の通り。
是非、参考にしてみてください。

先に習慣を作る戦略

好きなことをあげる→
そのことを活用して習慣を作る→
その習慣をビジネスに変換する

仮にブログを書く一つをとってみても同じことが言えます。

釣りがすきであれば、釣りをテーマにブログを毎日書く。
ブログを毎日書く習慣を作る
書く習慣を利用してビジネスに関するブログも始める

仕事も遊びも、「行動」をとれば同じことが多い。

書くこと、移動すること、話すこと、コンテンツを作ること
中身次第で、趣味になったり、遊びになったり、仕事になったりする。

だからこそ、まず、行動を習慣化してしまうことを提案して、その後に中身を入れ替えてみる。
これが、僕の「続かない」「やらない」クライエントさん向けのコンサル手法です。

2017年10月15日日曜日

カドカワ運営の投稿小説サイトでブログ癖→執筆癖へ

今、目指していることを赤裸々に告白しますか?


20代まではメジャーデビューを目指している!と赤裸々にステージの上からも発表していたにもかかわらず、今はだんまり。
※※を目指している!とは言わなくなりました。

大人になったと言うことか。
よく資格試験なんかは、大々的に発表して周りからの応援や協力を受けた方がいい!って書いてありますけど、そういうのは雰囲気だけ伝わればいいのかなと個人的には思うんです。

一時、脚本家を目指していた。

僕自身、大々的には言っていなかったけど、脚本の勉強がしたくて、シナリオセンターに通っていた時期もあったくらい、ストーリーを作ることが今でも好き。
実際、舞台の台本は何本か書いては、合計10本くらは上演してきた。

シナリオセンターでは、毎週毎週オリジナル作品を発表するのだから、どれだけ創作の世界を生み出してきたものか。
ただ、ほとんどコンクールというものにエントリーしたことがないので、当然、僕自身の立ち位置は何も変わらなかった。
出したところでどうだったかは知るよしもないですが。

文芸や芸術でプロにならなかった選択をした今、思うこと

今、会社を経営していて、自分の立ち位置はここで間違いないし、充実もしている。
そう思っている。
でも、やっぱり、せっかくこういうトレーニングをしてきたのだから、何本かは、誰もが知っているような作品を世に送り出したいと思うようになってきた。

きっとこれは、仕事もプライベートも充実してきたせいなんだと思う。

ということで執筆開始

そうは言っても、産みの苦しみというものはあるもので、まずは、毎朝ラジオを聞くというくらいの日課にしないと、続かない。
40年以上付き合っている自分の脳みそなのでわかっている。

一念発起というものは続かない脳みそ。習慣にしないと無理!
結局、シナリオセンターで毎週、シナリオを書くことは毎回が一念発起だったからドロップアウトしてしまったんだ。

日課にするには、PC立ち上げてすぐ書ける環境が欲しい

とりあえず、書くということを日課にするためにウェブに公開できる仕組みはないものか?と探してみると、2016年3月1日にオープンしたカクヨムという投稿小説サイトを発見した。
カクヨム「書ける、読める、伝えられる」新しい投稿小説サイト

なんとこれ、カドカワが運営しているというお墨付きの投稿サイト。

これを試してみようと思いますが、名前を変えて、こそこそやっていく。
だって、トレーニングだもの。
更に言えば、名前を出さない方が、おっぴろげることができることがあるもんだ。

メリットは書いたそばから読んでもらえる可能性がある。
これは日課にしやすい。

コンクール向けだと、今、書いているものは、何ヶ月か後に審査員に読まれ、更に発表は約1年後なんてことになる。
これでは、モチベーションが続かなそうだ。

カクヨムでは性的描写、暴力描写は良いのかどうか?

性的描写や残酷描写は制限されているけど、青少年に影響を与えない程度には許されているようだ。
性的表現等に関するガイドラインについて
大人なんだから、そういう部分を物語のスパイス程度には入れていく。
読む目的がそっちに行かない程度のスパイス。
ちょっと慣れた頃に、ここを離れて、新人賞を狙っていこうかなと思うけども、これも流れ次第です。

皆さんも、このカドカワが運営するカクヨム。
是非、参加してみてください♪

2017年10月12日木曜日

アーティストは年に3曲入魂の時代

ヴォーカリストから作曲家へ

今年の暮れにタイのバンコクで上演されるミュージカル「不思議の国のアリス」の楽曲の依頼をいただき作らせていただきました。


タイの日本人劇団サザン天都さんとはもう、10年以上の付き合いになる。
気付いたら、この10年、サザン天都さんの曲しか作っていない年もあったのだから、毎年、作曲依頼をいただくことで自分が音楽家であることを思い起こさせてくれる貴重な機会をいただけていたのだなと感謝します。

つい最近までは、昭和の名曲でライヴをしていたので、自分の音楽活動はオリジナルというものから遠ざかっていました。

経営者になって6年目

需要と供給のバランスなんかをいつも意図しているモノだから、世の中にこれ以上、新曲なんて求められていない!と思えば思うほど、産みの苦しみがむなしくも感じていた。
自分が曲なんか作って誰が喜ぶ?

僕がバンドマンを卒業したのは、第一子誕生してから。


バンドをやめたのは長女が生まれたことが直接の理由ではないにしても、間接的には僕自身の岐路にそれなりに影響を与えたんだろう。

夢あきらめて、裏方で生きるべって

音楽活動もほどほどにほとんど聞く側に回ってきた10年で気付いたこと


あれから10年経つと、世界の音楽事情が大きく変わっていて、作曲家としてもその変化については、一喜一憂したりする。

中でも嬉しい変化はDAWソフトの進化。音源の進化。


僕のように、バンド活動を卒業した人でも、生の楽器の音をパソコンの中で自分の思い通りに再生することができたりする。

今年もミュージカルの曲は作ったが自分の曲は作っていない。
楽曲を作っていると、ふと自分の曲はどうだったか?気になって仕方なくなる。

そこで過去の自分の作品の譜面を広げて、なかなかいい曲が眠っていることに気付いた。

当時の自分たちの演奏力や歌唱力が届かなくて日の目を浴びられなかった作品たち。

今こそ、日の目を浴びるときか?と思い立った。


当時は一ヶ月に5曲も10曲も作っていたけど、あれは何のために生んでいたんだろうと今になって気付く。

有名アーティストは3年掛けて1枚のアルバムを作ったりする。

つまり、1年に3~4曲。音楽専門の人達が共同作業でこの量だ。

音楽なんて大量生産するようなものじゃない。聞く側にたてば、そんなもの一目瞭然。

ここ10年、ほぼ聞く側の立場になっていたから気付いたことがある。

結局、記憶に残る曲は1年で2~3曲だ。

とりわけ、今の音楽はアルバムではなく、一曲買いのスタイルが主流。

ならばこちらも、自分の中の最高傑作を1年掛けてリアレンジして世に送り出そうと、こつこつアレンジをし始めました。

当時のメンバーとは、年賀状くらいでしかやりとりしていないけど、あの頃の曲たちが今の世代にどう響くのか?Youtubeや、iTunesを通して、世に送り出してみよう。

人間関係が面倒くさくなったときに読む記事

人間関係が面倒くさくなるとき 自分の時間が相手の都合で勝手に決められるとき 選択権は残されていても、事実上、それを制限するような空気を作られたとき 勧められたことを拒むことで人間性を疑われるリスクをかもちだされた時 非常に面倒くさい 自殺したい人を呼び...